ISBN:4883791327 コミック 西岡兄妹 青林工芸舎 2003/05 ¥1,260

今日も相変わらず熱っぽく、
鼻も喉もかんばしくないのだけれど
丸一日寝たからたぶんもう大丈夫。

でも、あれね。
一人でまったりとしていると、
余計なことばかり考えてしまって
あんまり精神衛生上良くないね。
幸い今日は殺されたいとは思わなかった。
「死にたい」と「殺されたい」って
同じことを言っているのかもしれないけど、
たぶんはっきりと違うことで、
そして俺は死にたいとは思わない。

西岡兄妹の短編集「ぼく虫」に
「ある金属バット自殺」
という作品があって、
はじめて読んだ時から、
よくわからない共感のようなもの
感じていたのだけれど、
最近その出所が少しずつ分かってきた気がする。

「すべての行為が閉ざされて」いて、
唯一開かれた行為である自殺を試みる主人公。
しかし自分を金属バットで撲殺することに失敗した彼は、
自分として殺しうるだけの他人を探しに街に出る。
そして、彼は見つける。そして、彼は振りかぶる。

西岡兄妹の物語はここで終わる。
きっと自分の「殺されたい」願望も、
自殺の「自分が自分を殺す」の行為と対象が
入れ替わってるだけで、
本質は上の話を同じなのだろうと思う。
しかし、大きな違いが一つだけあって、
その「自殺」を行為した後、
彼(物語の主人公)は生き続けてしまうのだ。
閉ざされた世界から自殺を抜けて飛び出した彼は
一体どんな世界に立つ羽目になるんだろう。
(仮に「殺され」てみても、結局あの世で
 同じ問題に直面してしまうんだろうけど・・・)

   実はそのモチーフは、西岡兄妹の最新刊
   「この世の終わりへの旅」で
   くり返されることになるんだけれど、
   ここではまだ触れないでいようと思う。

高校の時とか雑談をするためにあるようなもんだから、
「自分が死ぬ時のシチュエーション」
とか何回語ったかわかんないけど、
確か「寿命かなぁ」とかでお茶を濁していたと思う。
でも、たぶんその当時から自分にとってその話は
「好きな女性のタイプ」
という話題と密接にリンクしていた気がする。
愛する女の人に首を絞められて殺される妄想を
何度もしたことをここに告白します。
「その人は一気に力を入れてくれるだろうか、
 それともやっぱりためらってくれるだろうか」
とか
「意識が遠のく瞬間、
 その女性の眼の中に自分は何を見るんだろうか。
 『本当にこの人でよかったのか?』
 ってよぎったりしないだろうか」
とか、今でも考えてしまう。
とは言っても、自分はリアリストでマゾヒストだから、
本当に愛する人ならその人を一人残すことはしないし、
一人だけ楽になるような真似はしないとわかってるけど。

今日はひさしぶりにまたそんなことを考えてしまったのは、
時間が余ってたからってことにしちゃうんだけど、
ただぼんやり考えるのは、
「おばあちゃんになった大好きな人を
 看取るのも悪くないかもなぁ」
ってこと。
たぶん俺には「大好きな人を置いていく勇気」は
ないんだろうなぁ。

やっぱり今日は調子が悪いや。

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